待望の「ICO」開発チームの第2弾。
美しい情景描写と、ミニマムな登場人物による「ゲームそのもの」を楽しむゲームという潔い姿勢はあいかわらず。
そしてゲームそのものが、タイトルに集約されているとおり、巨像にしがみつき、たたかうというかなり斬新なものになっている。
プレイ中にふと「しがみつき」ボタンであるR1ボタンをぐにゅーーっと押してる自分に気づき、その熱さを自己認識するのである。
その背景には「リアリティ」を感じさせるさまざまな技術的裏づけがある。
そのあたりは、「3Dゲームファンのための『ワンダと巨像』グラフィック講座」(「GAME Watch」, インプレス)が詳しいので、ぜひ参考に。
さて、全体としての感想だが、ぼくは巨像を倒すたびに大きな1つの命を奪ってしまったことの罪悪感みたいなのをおぼえて、なんとなくなじめない感じがあった。
巨像を倒すゲームなのに、そこにある種の後ろめたい感じをうけるという根本的な矛盾を感じつづけていた。
それをまたいでエンディングをむかえたら、「違うなぁ」の印象だったろうが、気になったまま、最後の巨像を倒して…なんとこの罪悪感すらも計算されたゲームデザインの一部であったことを知らされる。
深い。
このあたりは「ICO」チームらしい物語性があって実にいい。
しかし振り返って考えると、「ICO」の方が、城という「巨像」を相手に果てしないたたかいをくりひろげていたような気がする。
そう思ってしまった瞬間に1つひとつの巨像のスケールが小さく見えてしまい、小さな仕事のルーチンワークという印象をぬぐうことができなくなっしまった。
まぁPlayStation2の初期に衝撃をうけた「ICO」にたいして自分の評価が高すぎるのかもしれないけれど。
あと、技術的にはFPS(1秒あたりの画面書き換え回数)が低くどうもカクカクとした印象のせいで微妙に「現実」に引き戻される感じがあった。
ハードウェアにたいしてオーバースペックなことをもりこんでしまったのかなと、ちょっと残念。
いずれにしても、「ICO」での他者とのコミュニケーション、「ワンダと巨像」での命の実感など、ちょっとめずらしいアプローチにひきつづき目が離せない。
PlayStation3でも、サプライズがあれば、ぼく的には十分買い替えの要素になるだろうと思う(←おいおい)。
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