なぜ見たかというと、予告編の子どもの顔がよかったから。
それは、どう見ても主役の先生と子どもの別れの場面だろう。
子どもたちが顔中に汚いほどの涙のあとを残して、なにやら叫び、一点にむかって手をふる。
もうそれだけで子どもたちがのびのびと演技をし、またスタッフやら俳優たちやらとただならぬ信頼関係をつくった映画だという推察ができた。
「この結末が待っているなら見ようじゃないの」と思わずにはいられない、いい顔だった。
映画の内容は、坂口憲二さん演じる、事故で声を失った先生が、母親の生まれ育った島で臨時教員となる、というもの。
原作小説をふくめ、まったくの空想にもとづいてつくられたストーリーだと思われるけれど、学校教育ものとして、なかなか大切な要素がふくまれているように感じた。
その一つが、他人の気持ちを思いやる姿勢。
主人公の先生がしゃべれないというのは、映画の導入部分では正直かなりもどかしく感じられた。
しかし、そのもどかしさがいつしか、「先生はいったい何を考えているんだろう、伝えようとしているんだろう」と、自然と他人の気持ちを思いはかる気持ちにつながっていく。
映画を見ている間のこういう頭の使い方自体が何か新鮮なことに感じられた。
自分の心のせまさがはずかしい。
その結果として、観客の共感の対象が子どもになり、子どもが主人公になること。
坂口憲二さんがパンフレットで「大人が子供に教えるだけが教育じゃないんですよね。今回、僕はいろんなことを子供たちから教わりました」と話している。
なんだか最近の「押しつけ」中心の教育行政にあって、このことを再認識させることはすごく大事だと思う。
そして、時代背景を戦後直後として、どうどうと戦争の反省をうったえていること。
堺正章さん演じる校長先生が、おもむろに「先生は教え子をたくさん戦場に送った。…きみたちには戦争のない世の中をつくってほしい」とストレートにうったえる場面は、本当に大切な授業として心に残る。
じつは、機関車先生が母親の育った島にはじめて訪れる、という設定も日本が戦争を起こすにいたる社会環境が背景となっている。
東京都の教育委員会が、一部の中学で日本が起こした戦争は「正しい戦争だった」とする「新しい歴史教科書をつくる会」(ぼくにいわせりゃ「古い歴史教科書を復活させる会」だが)の教科書を採用することをきめた。
また、アメリカの要求を背景に、憲法9条をなくしそれにあわせて教育基本法もかえる、と自民党、公明党、民主党が動き出している。
はたして教育において、子どもがのびのびと成長することを保障することと、戦争で命を落とすことに疑問を感じない子どもをつくることとは両立しえるのだろうか。
とくに子どもの自己肯定感の希薄さが問題になっているいまの日本で。
「きみたち一人ひとりの命は本当にかけがえのない大切なもの。戦争で命を落とすような不条理なことはさせない。だから、しっかり学んで成長しよう」――こういうストレートな教育が本当にしみる。
さて、映画の内容からやや脱線したが、要は冒頭に書いたとおり子どもがいい。
大人たちのごちゃごちゃがあろうが、子どもは子どもらしく子ども同士で成長していくという理想がこの映画にはあふれている。
魅力的な目標や憧れとなる大人がいればなおいい、というのはいうまでもないが。
そういう映画。
「ほたるの星」の雪辱を果たせた、という感じ(笑い)。
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