2日おいて、またしても「大事な映画」。
爽快感とか、感動とかいった感情よりも、人間の理性によびかけるタイプの映画だ。
とにかくリアル。
同じ周防監督の「Shall We ダンス?」や、「シコふんじゃった」などを先駆けとして、最近元気な日本映画に共通しているのは、「ひたむきさ」だと思う。
その世界にずっぽりはまって俳優たちなんかもまきこんじゃって、生身で表現する感じ。
これはもうリアルの前提として必要な姿勢だと思う。
先日紹介した「フラガール」もそう、「ウォーター・ボーイズ」もそう、ラストの決定的なところにむかって、俳優が役と一体になって練習し、挫折し、それでも精一杯とりくむ過程までもが映画の一部、みたいな。
ハリウッドだったら「ドル箱」俳優の「顔が見えないところはスタントの仕事でしょ?」の一言で終わっちゃいそうな…。
今作においても、少なくとも周防監督自身は相当数の裁判を傍聴し、本を読み、関係者の話を聞いてつくりあげたんだろうなぁ…というその没入感やリアリズム、そういったものが自然にかもし出す恐怖や屈辱、笑いや希望にあふれている。
それをあえて「演出してやろう」という感じでなくやっているところに新しさがある。
そして、この映画、痴漢冤罪事件をテーマにしてはいるけれど、やはり日本の司法制度全体を告発した社会派映画だ。
劇中でも、役所広司さん演じる主任弁護士・荒川正義が「痴漢冤罪事件は、日本の裁判制度の問題点が凝縮されている」といったセリフがある。
そしてラストの判決シーンで加瀬亮さん演じる被告人・金子徹平や小日向文世さん演じる裁判官を、真正面、真横といった、あまり映画で用いない構図で撮影する。
美術の世界では、真正面(フロンタル)はおもに宗教画などでつかわれ、対象を神聖化するのにつかわれてきた。
また、真横の構図も、コインなんかに見られるように歴史的人物を描写するのに用いられ、やはり生身の人物描くというよりは、ある程度その人物を神格化する作用がある。
このラストシーンの構図は、被告人と裁判官を抽象化して描く、つまり一つの痴漢冤罪事件を描いたにとどまらないことを示す隠れたメッセージだとうけとった。
ま、劇中のセリフを借りれば、「警察、検察…お上(かみ)にたてつこう」という映画なんじゃないだろうか。
こういうものに国民が不信感を抱いてるときだからこそ、このリアリズムが痛快な感情をも抱かせるのだ。
p.s. この映画のパンフレットも実にしみじみとまじめなつくり。
最近、せっかく買ったパンフレットがまったくもって手抜きでガックリくるケースが少なくない。
それゆえ、映画の評価とは別にパンフレットの評価もやろうかと思っていた矢先。
裁判制度のQ&A、参考文献など、あとから映画の世界をふくらませてくれる、これだけの企画をもったパンフレットもめずらしい。(めずらしいと困るんだが)
映画を見る人は、ぜひパンフレットもセットの現金を用意して出かけてほしい。
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