発売元 : ソニー・ミュージック
商品番号 : DFCL-1122 / 価格:¥2,913(税別)
昨年末「紅白歌合戦」をはじめいくつかの番組で歌った「見上げてごらん夜の星を」や、CMソングの「Lovin’ you」、シングルと別アレンジの「大きな古時計」など、聞きごたえ満点のカバー曲集だ。
いずれも「平井堅ナンバー」として昇華させており、単に聞きなれた曲にとどまらない心地よさを感じさせるのは見事というよりない。
平井堅がみずから愛する曲を小さなバーで歌う、という設定で、バーの雑音やイントロ的なインストルメンタルから入るといった凝りようで、ジャズっぽい雰囲気を楽しませる。
…って、おい!
以前に紹介したシンディー・ローパーの「アット・ラスト」とまんま同じコンセプトじゃないか。
しかも両方ソニー・ミュージックだし…。
いや、平井堅の「Ken’s Bar」もシンディ・ローパーの「アット・ラスト」もそれぞれ悪くない。
たとえば、それぞれの CD との出会いが 2 年とか 3 年とかの間隔があいていれば、とくに気にとめなかったろう。
しかし、この間の↓な傾向は、はっきりいっていかがなものかと思う。
(1) ベスト盤
一人(一組)のアーティストが自分たちのヒット曲を集めたもの。
といっても、30年ぐらい前はヒットしたシングルを集めて、アルバムにするというこれがあたり前だった。
ちなみに、「独自のコンセプトをきめて、それから曲を構成していく」というアルバムのスタイルを確立したのは、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が最初、と聞いたことがある(←受け売り)。
類するものに、「セルフ・カバー」(自分の曲を再録音)、「リミックス」(音源は同じでアレンジで別物にしちゃうというヤツ)があるのでは?
(2) トリビュート盤
あるアーティストの曲ばかりを、別のアーティストたちがカバーしたのを集めたもの。
最近の例でわかりやすいのが、ジョン・レノンの曲を日本の別のアーチストが演奏している「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」。
これはライブだけど、こういうコンセプトのアルバムも多数。
Amazonの「ミュージック」で「トリビュート」を検索したら、なんと300件オーバー!!
固有名詞が浮かばないのは、ぶっちゃけあんまりヒットしないから。
「カバーされる側」のファンにとっては冒涜されるような感じがあるし、「カバーする側」のファンにとってはほかのアーティストのはムダという感じがするからだと思う。
(3) カバー盤
今回紹介した平井堅の「Ken’s Bar」もシンディー・ローパーの「アット・ラスト」もこのパターン。
トリビュート盤が、主役は「カバーされる方」なのに対して、「カバーする方」が主役という点では、ベスト版に回帰した感じも。
同時に、カバーする側の思い入れが感じられるという点では、「逆トリビュート」的な印象もあり、カバーする側のファンとしても素直に楽しめるのがミソ。
歌ものではないけれど、昨年大ヒットした女子十二楽坊なんかも、このパターン。
(4) ヒット曲よせ集め盤
アーティストに関係なく、とにかくヒット曲を集めたもの。
「Now」が典型だが、「Now」はレコード会社の壁をこえたという点で革新的だった。
年代別、曲調別、テーマ別などのバリエーションはつきない。
「フラッシュダンス」、「フットルース」(ちょっと古いか?)とかの映画の「サントラ」も若干類似しているかも(ただ新曲が多いという点では、ちょっと違う)。
そしてもっとも無節操なパターン。
結局、どれも古い楽曲のつかい回し。
くりかえすが、平井堅の「Ken’s Bar」もシンディ・ローパーの「アット・ラスト」もそれぞれ悪くない。
しかし、こうやってみると、一つの「流れ」にのったという気がしてしまって、やや割り引いた目で見てしまう(耳で聞いてしまう?)。
ヒット曲の短命化→「心に残る曲」が少なくなると同時に大量のあまり聞かれない曲が生まれるという問題もある。
これには、テレビのランキング番組の悪影響を感じるのだが(長くなるので、また今度)、アルバムを買ってくれるようなファンにまじめに音楽を届ける、という姿勢をアーチスト、レコード会社にはつらぬいてほしい。
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