泣いちゃうかもなぁと思いつつ、覚悟をきめて劇場に足を運んだものの、もうおいおいと泣いてしまいましたよ、マジで。
韓国発の純愛ストーリー「冬のソナタ」の面影(実際、主演女優のソン・イェジンは、同シリーズ「夏の香り」に主演)を感じたこととと、「猟奇的な彼女」のクァク・ジョエン監督作品ということで楽しみに出かけた。
現在三角関係中の女子学生ジヘが、日記や手紙を通じて母親のジュヒとジュナ、テスとをめぐる悲恋の三角関係を知る、というあらすじだが、現在と過去の配分と交錯しぐあいが実に絶妙。
興行的には「泣ける」「悲恋」で押し出しているが、ラストでめまぐるしく現在と過去を行きかう展開とその結末は、意外も意外。思わず「おおーっ」と声が出そうに。
詳細はナイショです。
ちょうど 1 週間ほど前の中学の同窓会の余韻もあって、中学生か高校生かのジュヒとジュナとの恋愛がじつにツボ。
たとえば…
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文化祭のピアノの発表を終えて家族らに祝福されるジュヒを、ジュナは体育館の人ごみの中で見送る。
来場者の多くがいなくなって妙に静まりかえった校庭に、ジュナは一人花束をかかえたままベンチに座っている。
ジュナは、校舎から体育館の方へと走っていくジュヒの姿を見つける。
自分が待っていることを確信して走るジュヒの後を追って、はじけるように走り出すジュナ…。
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もうこれだけでホロリ。
こういうのあったなぁ、昔。
いまだったら、人の流れにのって帰ってるもんね、ぜったい。
くりかえしになるけれど、ぼくとしては、この映画が「悲恋」を描いているという印象がない。
悲恋といえば「タイタニック」とか「哀愁」とか「ロミオとジュリエット」とか、その良し悪しは別にして、恋するがゆえにみずからの命を絶つことになるというような…。
恋が悲劇の引き金になると同時に、ではその恋をしなかったら・あきらめたら幸せだったのかというジレンマをつきつけるようなもののことをいうと思う。
この映画には、親子の関係、親友との三角関係、恋する二人をとりまく世間の空気など、切ない要素はあるけれど、それは観客のなかにある懐かしい思い出とてらしあわせることができるような範囲で描かれているように思う。
ただし、この映画にも決定的な「悲劇」が描かれ、人間関係に大きな変化を起こす。
劇中、ジュナはベトナム戦争に派兵される。
ジュヒが列車の窓を叩き、「ジュナ ! ジュナ ! きっと帰ってきて ! 」と叫ぶ駅のホームのシーンから、ベトナムの戦場シーンへとつづく一連の流れに、ぼくとしてもいちばん感情がこみあげた。
「なぜ、戦場に行かなければいけないのか? それともみずから望んで行ったのか? なぜ? なぜ?」と頭の中をかけめぐりつつ、涙があふれてくる。
ジュナが戦場にいったいきさつをもう少し描いてほしい気もしたが、逆に、あえてジュナの意思を描かなかったことに、青年たちの意識とは無関係に徴兵・出兵された当時の韓国の状態を告発する意思も感じられた。
ジュヒを戦争反対のデモに参加させたこと、戦争をこの映画最大の悲劇と描いたこと、しかも韓国においてはより一般的に描かれてきた日本の侵略に対する抗日戦争や、朝鮮戦争ではなく、アメリカの戦争に協力したベトナム戦争をあえて描いたこと…なかなか日本の大手映画にはまねのできない重いメッセージだ。
冒頭では、ジヘが生活のなかに浸透してきている平和の象徴・白い鳩をうっとうしがる姿を描いているが、すべての経過を理解し、それを背負ってみずからの未来へすすんでいくジヘの表情は意思に満ちている。
ミニマムな登場人物で、そんなに目立った特撮があるわけでもない。
しかし、美しい風景、美しい音楽、そして普通の好人物たちが織りなす、みずみずしい感動は、みずから「ザ・クラシック」(古典)と名乗るだけの堂々とした――あまりこの映画にふさわしい修飾語ではないが――印象をうける。
いま、熱くエネルギッシュな韓国映画の懐のひろさが伝わってきた映画。
かなり、おすすめ。
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