タイトルの「ジュリエット」で「ロミオと…」が合い言葉のように出てくるように、「ロミオとジュリエット」といえば、恋愛モノの古典中の古典だ。
そのジュリエットあてに、いまも世界中の女性たちが恋愛の悩みを打ち明ける手紙を送り、ボランティアの「ジュリエットの秘書」たちが日々返信を送っている――というのがこの映画のモチーフ。
一般的には悲劇と語られることが多いジュリエットの運命だが、大きな障害にも負けずに命がけで愛をつらぬいた彼女に憧れる女性も多いということだろう。
婚約者との旅行でイタリア・ヴェローナを訪れた記者のタマゴ、ソフィが「ジュリエットの秘書」たちと出会い、50年前に書かれたまま埋もれていたクレアの手紙を偶然発見する。
ソフィが書いた返信をきっかけに、クレアは孫のチャーリーを連れてイギリスからヴェローナを訪れる。
「50年前、思いを遂げられなかったロレンツォに再会して、お詫びをいいたい」
クレアの「真実の愛」を探すソフィ、クレア、チャーリーの旅がはじまる――というストーリー。
単に恋愛ロードムービーに終わらせないのは、クレアが幼いときに両親が離婚し母が家を出て行き、チャーリーの両親は交通事故で亡くなっていること。
クレアの「真実の愛」をつかめなかった自責をふくめ、「喪失感」が映画の底流を流れる。
東日本大震災のもと、この「喪失感」というキーワードが胸を打つ。
本作は「喪失感」から生じるエネルギーの大きさを描く。
ときにはクレアのような前むきの行動につながることもあれば、他人を傷つける後ろむきの言動をも引き起こす。
しかし映画全体としては、「喪失感」を乗り越えるためにもがき、新しい信頼関係をきずこうとする行動のまるごとを見つめる視線があたたかい。
ソフィがクレアに送った手紙がいい。
「…かつて真実と感じた愛なら、
遅すぎることはありません。
かつて真実なら今も真実のはず。
…そのような愛を感じたら……
つかみ取る勇気を持たないと。
そしてあの時、勇気がなくても、
いつか勇気を持てるでしょう。」
(映画のパンフレットより)
なぜ記者のタマゴにこんな素敵な文章が書けるのか…その点ちょっと唐突な印象をうけたのだけれど。
ぼくの解釈は、仕事上チャンスをうかがい、そのチャンスを信じているから「いつか勇気を持てるでしょう」につながっているんじゃないか、と。
何事も「いますぐ」やってみろといわれても、条件・環境が整わなければ空文句に過ぎない。
かといって完全にあきらめてしまっては、けっしてチャンスはつかめない。
「いつか」行動する日のために、けっしてあきらめず、準備を重ね、虎視眈々とチャンスをうかがう姿勢は、真に現実的で前向きだと思う。
それは「喪失感」をもっている人への優しいアドバイスでもあると思う。
結果、クレアにとっては「いつか」が「いますぐ」だったわけだけど。
↑の公式サイトのトップ画面でもクレアがロレンツォに会えることが暗示されちゃってるわけで。
こういう、年とっても照れずに愛情に正直なのって素敵だなっていうのも感想の一つ。
しかも、クレア役のヴァネッサ・レッドグレイヴとロレンツォ役のフランコ・ネロの二人は、40年近くのブランクを経て2006年に結婚したというバック・ストーリーも仰天ものだ。
自分的にはまあまあツボだったんだけど、全体的なテイストが若いというか軽いのがどうも…。
とくにサントラが、ホントに肝心なところは別として、いかにもポップスという感じで、しかも統一性がない。
ソフィの心情に重きをおいてるからだろうけど、もうちょっと工夫すればターゲットとなる年齢層もひろがるんじゃないかな、と。
あと、そのターゲット年齢層と関連すると思うんだけど、ソフィ役のアマンダ・セイフライドの胸を強調した衣装が気になって気になって(←おい!)
それから、邦題は「ジュリエットからの手紙」だが、原題は「Letters To Juliet」で直訳するなら「ジュリエットへの手紙」になる。
語呂とか語感の問題もあるだろうけど、「からの」だと受身で「への」の方が能動的だ。
行動する勇気がテーマでもあるわけで、手紙を書くことも小さな勇気の発揮として「への」の方がよかったんじゃないかなあ。
Amazon で「ジュリエットからの手紙」で検索するとトシちゃん(田原俊彦)のCDにヒットしちゃうのもトホホ。
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