かなり楽しみにしてて、3度目の正直でやっと見れた。
親の離婚で鹿児島と福岡に離れて暮らす兄弟。
「九州新幹線の上りと下りそれぞれの1番列車がすれ違うときに願い事をするとかなう」
と聞いた二人がもう一度家族4人で暮らす夢をかなえるため、それぞれの友だちを連れ立ってその瞬間を迎えようとする…というストーリー。
予告で見た子どもたちの必死の顔が実によかった。
その予想通りの兄弟役の「まえだまえだ」の二人をはじめ、子役たちのエネルギーが輝く映画だった。
是枝裕和監督の子どもたちへの信頼が輝いていた、といってもいいかもしれない。
「演技がうまい」というよりまるで演技をしていないような、きっとそのセリフや表情が出てこざるをえない情況を設定して、ふだんコミュニケーションするのとまったく同じ方法で、脳みそを動かし言葉や表情が出てくるようにしたのだろう。
子役たちにはほめ言葉にならないかもしれないけれど。
パンフレットには、台本はなくその場で撮影すべき情況と大まかなやりとりを子どもたちに口頭で伝えた、と書いてある。
そして、子どもたちへの信頼は単に映画の撮影現場だけではなく、是枝監督の子ども観・人間観にもあらわれているように思う。
子どもたちが自らが置かれている情況に抱く繊細な感情に注意深く敬意を払っている。
映画としては「あれ新幹線いつ出てくるの?」ぐらいの淡々とした描写が印象として3分の2ぐらいつづく。
近所の酔っ払いオヤジのデカい声や汚らしい靴下、ぼんやりした味の「かるかん」、長澤まさみさん演じる図書館司書の先生のナマ足…。
まわりの大人が汚く見えたり、鈍感に見えたりしたときの嫌悪、美しくやさしい大人への敬愛と感謝――それは、日ごろ大人が子ども(わが子をふくむ)をみるときに「めんどくさい」と感じる部分。
あらためて映像化されると自分にもあった子ども時代の感覚をよびさまし、「めんどくさい」と感じている日々の自分が恥ずかしくなる。
かといってそういう大人を嫌悪するのではなく、出てくる大人たちもまた、どっか弱い部分をもちながらも必死に前向きに、前を探して生きる姿をあたたかく描く。
とくに子どもたちから家族への深い愛情は、世のお父さん・お母さんへの応援メッセージのようで、涙が出る。
そして子どもたちはおかれている情況を完全には否定せず、むしろ足場にして未来に向かってたくましく生きていく。
友だちという仲間、子どもたちを信頼して影で支える大人たちという仲間の両者も必要。
ときどき「新幹線を見に行く」というような自分たちで目標や計画を立ててとりくむイベントや、ありったけの大声で自分の夢や日ごろのうっぷんを叫ぶ通過儀礼も大事なんだと思う。
タイトルの「奇跡」が意味しているものは何か?
パンフレットの解説でもいろんな解釈が語られているけれど、いま小さい子どもをもつ自分としては、子どもたちの成長の日々が奇跡なんじゃないかと感じた。
子どもたちは日常ですごくたくさんのことを感じていて、それを言葉にして話してくれるのはほんのわずかなんじゃないか。
その子どもの視点での新鮮な発見を、共有し共感し応援できる瞬間は「奇跡」といえるのでは…と感じさせられた。
是枝監督に遠くおよばないにしても、子どもたちの――できればわが子だけじゃなく、出会えるすべての子どもたちの「奇跡」をつかまえられるよう意識して日々を送りたい。
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