…するのに十分な~

英和辞典に出てきそうなタイトルで、夏休み総括シリーズ第2弾。
MISIA の 「星空のライヴIII」を見た日はそのまま長崎に泊まり、翌日、長崎原爆資料館に行きました。
長崎の原爆資料館ははじめてだったのだけれど、広島のほうには何度か足を運んでいたので、正直「別に行かなくてもいいだろう」という心の声とたたかいながら。

結果としては、見学の途中の段階で「やはりときどき行くべきだ」という自戒をあらたにすることになった。

核兵器の攻撃をうけたのはこの地球上で広島と長崎の2ヵ所だけ。
広島のことを知り、長崎のことを知ればパーフェクト…という抽象的な理解は間違いだった。
長崎だけでも「死者約74,000人、負傷者約75,000人(1945年12月末までの推定)」(「長崎原爆資料館」ホームページより)。

7万4千の命。
負傷者や、その家族たちをふくめれば、その悲劇はずっと末広がりにひろがっていく…。
前日のライヴの観客は2~3万人といったところだったろうか。
帰り道の人ごみに辟易としながらも、まわりの話し声が関西弁だったり、九州弁だったり、また年齢もさまざまでその多様さに感心したのだった。
その数倍の人の命が瞬間に、半年ほどの間に奪われたという事実に言葉を失う。

「わかった気になってそれ以上理解を深めることにブレーキをかけてしまう」というのが数年前はやった「バカの壁」なわけだが、先ほどの「心の声」こそ、自分のなかにできつつあった壁なのだ、とショックをうけ、反省する。

展示を8割がた見たあたりに休憩のベンチを見つけた。
妻と二人、なんともいえない疲れで腰をかけると、隣で英語で議論する外国人たちの姿があった。
聞きたかったが、全部聞くと休憩にならないので、聞くともなく聞いているとそのうちの一人、60代~70代ぐらいのグレーの髪の男性が「What can we do?」と。
ついまじまじと顔をみてしまったが、その初老の男性の目は真剣だった。
偏見かもしれないが、ある程度年をとると、たいていのことは自分の価値観でつつみこんで消化することに慣れてしまうものだ。
これだけ年を積み重ねた人がショックをうけたように「自分たちに何ができる?」と問いかける姿は、実にすがすがしかった。

たしかに。
原爆の被害は絶望的なショックをうけかねない事実ではある。
同時に、それでもこの60年にわたって、核兵器をつかわせなかった世論、その製造・開発工程である核実験の被害からも核兵器の不条理さを訴える声がひろがってきていることも事実。
自分をふくめ、今後核兵器の使用や、核兵器の保有を盾にしたおどしも、許さない人がいること、それが増えることのなかに希望があることを感じ、「休憩」としてこのうえないひとときを過ごすことができた。

さらに展示のなかをすすんでいくと、長崎原爆資料館の歴史をまとめた特別展がもうけてあった。
訪れた著名人のコメントも紹介してあったのだが、そのうちの一人の方のコメントは「悲惨さが伝わってこない。がっかりした」というものだった。

…がっかりはこっちのセリフだよ。
この方のコメントには展示されている以上の悲惨があることを知っていることが暗示されている。
しかし、この方が核兵器に反対する立場を表明したのを聞いたことがない。
(自分がこの方のことを知らないだけなら、お詫びしなくてはいけないが)
同じ事実の一部を見ながら、「自分に何ができるのか」と考える人と「悲惨さが足りないからがっかりした」といって何もしない人…。

人間には想像し共感するという特別な力が備わっている。
その力をにぶらせてはいけないと、心を新たにする時間となった。
やはり足を運んで正解だった。

最後にきっぱりとつけくわえておこう。
長崎原爆資料館が伝えている悲惨さ、悲劇、そしてそこから得るべき教訓とその後の世界の運動についての説明は、「核兵器の使用と存在を許さないために、何か行動をはじめるのに十分なものである」、と。
行動しながら、学び、調べ、自分の生き方と行動をとぎすませていくことが求められるかもしれないけれど。


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