「CASSHERN」

by

in

CASSHERN [DVD]

「CASSHERN」公式ホームページ

映画を見たのはずいぶん前だったのだけど、DVD発売のニュースが入ったので書いてみることにした。

この映画、もとになったのは70年代のアニメ「新造人間キャシャーン」だ。
リアルタイムで子どものときに見たことは見たのだが、それほど夢中になった記憶がない。
しかし、なぜか強烈に印象に残っている。

白いスーツに身を包み、華麗なアクションでアンドロ軍団のロボットを破壊する等身大の主人公・キャシャーンには、美しさと、その生身っぽさゆえの痛みとがあった。
また、白鳥ロボットに姿をかえられた母親など、命と人間らしさについての哲学的問いかけがあった…いまにして思えば。

アンドロ軍団のロボットたちが、ヨーロッパ風の狭い石畳の路地を長い隊列を組んで行進し、市民や子どもが逃げまどう…。
まるで「シンドラーのリスト」などで再現されたナチス・ドイツの行軍を思わせる描写だった。
(これは「Yahoo!動画」で「CASSHERN」の公開を前後して公開されていたアニメを見て気づいたのだが。)

さて映画「CASSHERN」だが、初監督の伊勢谷友介さんの意欲作といっていいだろう。
映画の用語法ともいうべき、流れや表現法をあえて無視したようなつくりは行きすぎという印象で鼻についた。
が、アニメ「キャシャーン」の「第二次世界大戦の惨禍を経験していながら、また人類は自らの誤りで滅亡の危機をむかえようというのか」というメッセージを再評価し、そのメッセージへのリスペクトと現代的な問題意識をこめて再発信していることは意義深い。
また、悩みながら、葛藤しながらストーリーをすすんでいく主人公にメッセージを託したのは、観客となる多くの青年といっしょに考えていこうという姿勢のあらわれにも思える。
若い作家のなかではめずらしい、懐かしく、新鮮で、不思議と謙虚な印象をうける映画だった。

思えば「宇宙戦艦ヤマト」、「起動戦士ガンダム」など、日本の代表的アニメには、戦争を単純に肯定したものは少ないと思う。
それが、戦争の教訓と憲法をもとにつくった新しい日本国民の文化だったのではないか。
そこに「ジャパニメーション」のエッセンスがあるのだとしたら、憲法9条が岐路に立ついま、日本のアニメも岐路に立たされていることになる。

白い衣装を汚すことなく強さをみせつけたアニメのキャシャーンとの比較で、傷つき、汚れてボロボロになっていく映画の主人公に違和感を感じた、という感想をどこかで読んだ。
しかしぼくには、傷つき、葛藤しながらも、人類の理想を体現した主人公は、いまの憲法9条と国民の葛藤とを映した姿のような気がしてならない。
映画では、主人公は傷つき、たった一人になってその理想にたどりつく。
しかし、憲法9条はみんなで力をあわせて守らなくてはいけない、と思う。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください