2004年お正月映画の注目作、「ファインディング・ニモ」と首位をあらそうであろう本作も見に行った。
第一印象は、いいとこもあるんだけど、なんとなくすがすがしさに欠けるという感じ。
なんだかもやもやした印象のまま映画館を後にした。
というわけで分析してみると…
【いいなぁ、と思ったところ】
◇自分たち日本人も忘れかけていた、かつての日本人の美しい精神世界に注目しているところ。
風景や家屋、衣服などの小物もつくりこまれている感じで自然に美しかった。
トム・クルーズ演じる主人公が、モノローグ的に「(日本の人は)笑顔を絶やさず、それでいて複雑な感情をもっている。朝早くおきて、すべての仕事において完璧をめざす。なにより自分にきびしい」…という具合に侍たちを評する。
同じ日本人として「申しわけない」という気にさせられる(笑い)のと同時に、自分たちがかつての侍を見る視線は、同じ日本人からという思いよりも、主人公の外国人からの視線に近くなっていることに驚かさせる。
◇劇中で「敵」となるのが、天皇、成長しつつある日本の大資本家、大量殺戮兵器を売ってもうけをたくらむアメリカの兵器産業の三位一体に後ろ盾された皇軍という設定。
◇日本人とアメリカ人、文化の違いを対話で乗り越えようとした主人公たちの姿。あだ討ちの気持ちが対話を通じて薄れていくのも、武器商人として描かれた現代アメリカに対する痛烈な批判とうけとめた。
◇そしてたまらなく美しかった小雪さん。
…しかし、だ。
【首をひねったところ】
◇クライマックスとなる戦場のシーンは、前述の皇軍と、渡辺謙さん演じる「侍たち」の軍とのたたかいだ。
近代兵器と大軍勢に頼って無責任に兵をすすめる皇軍に対し、侍たちは軍勢は劣れども頭脳と鍛えぬいた刀と弓で互角にたたかう名勝負――としたいのだろうが…。
劇中でも、皇軍の兵士たちがちょっと前には農民たちだったことを指摘している。
しかし、「侍たち」の軍も、その多くが戦のときだけ借り出される「ほぼ農民」だったはずだ。
結局命を落とした多くの者は、資本の論理を背景にした「富国強兵」政策か、前時代の士農工商制度の名残りのいずれかに翻弄されただけの、お互い敵でも味方でもない農民同士なのだ。
そういう戦争のおろかさを告発するように感じたカットもなかったわけではないけれれど、単なる「お涙ちょうだい」のカットにも見えるし、上述の背景を理解していたのならストーリー的に未消化だ。
◇最後に主人公が「民の声を聞け」とばかりに明治天皇に進言にいく。
日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と、すでに歴史はこの主人公の進言がムダに終わったことが前提になっている。感動しろといってもムリな話。
ムリでもいうだけいうのが「侍魂」か!?
せいぜい「(アメリカにそそのかされて)欧米化に夢中になり、日本の文化や自然をふくめた国土を失うのはおろかである」という、いまの日本政府に対する皮肉、というかなりの拡大解釈でようやく好意的にうけとめられる。
ぼくとしてはこの辺の「納得いかない」感が生まれてしまったのでどうもすっきりしない。
ここまで書いてみて、「もしかして…」と思ったことがある。
この映画の原作者は、侍を士と区別して――いうなれば、社会的な地位としての士ではなく、哲学としての侍とでもいうように考えていたんじゃないか? (「ジェダイ」に近いかも・笑い)
映画のなかでは、侍が般若心経を読み、田植えをし、そして剣の腕を磨いていた。
まるで身分制度もそれにもとづく分業もない、一つの平等なコミュニティーのように見えた。
「江戸時代まで日本人はみんな侍だった」というような印象をうけてしまう。
そう自然にうけとめると、「首をひねった」かなりの部分は、矛盾がなくなるのだが…。
やれやれ。
日本のことをまじめに紹介するようでいて、肝心なところで勘違いをさせる映画というのがぼくの結論だ。
本作の TV CM では、日本人がボロボロと涙をこぼしながら感動を語っていたが、いったいどうやったら泣けるのか。学校の日本史の授業はどうなっているのか。――こっちが泣けてくるよ。
というわけで、あわせて紹介したいのが「郡上一揆」。
ぼくも最近 DVD を注文したばかりでまだ手もとに届いていないのだが…。
まさに「ラスト・サムライ」とは対照的に、農民の視線で江戸時代を見た「オルタナティブ」な映画だ。
農民にも「魂」があって、侍にいわれるままに畑を耕していただけではなかったことが新鮮だった。
一揆のシーンの大群衆もなかなかの迫力だし、農民たちの知恵と権利のつかい方も見事だ。
あらためて DVD を買おうと思わせるほどによかった。
「ラスト・サムライ」を見た多くの人に、ぜひこちらも見てほしい。
「郡上一揆」
発売・販売 : セブンエイト / 型番 : SEMD-10
定価 : 3,900 円
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