きょうは、ゆっくりと大型ショップで CD を見たのだが、ひさしぶりのせいもあって「これは!」というのに連続してヒットしてしまい、一気に 6 枚の CD を買ってしまった。
これでネタも仕入れることができたというもの。
まず最初に紹介するのは、ジョーン・バエズのアルバムだ。
ことしに入ってずーっと探していたのをついに発見!!
正確にはこのアルバムではなく、収録曲の「ドナドナ」を探していたんだが。
海外の「ドナドナ」ファンの間では、日本では音楽の授業でとり入れられており有名な曲、と紹介されている。
ほかにも音楽の教科書にはたくさんの曲が紹介されていたはずだが、たしかに「ドナドナ」のインパクトは大きかった。
歌詞とメロディーの絶妙なうらさびしさはなんとも「大人」な感じがあったような気がする。
しかし、このうらさびしさには、それなりの理由があったのだ。
たまたま別のことを Web で調べていて出会ってしまったのだけれ、なんとこの歌は、反戦・反ファシズムの歌なのだ。
「ドナドナ」の歌詞をつくったアーロン・ザイトリン(Aaron Zeitlin)、曲をつくったシャローム・セクンダ(Shalom Secunda)はいずれもユダヤ人で、この「ドナドナ」はナチス・ドイツの時代につくられた。
そして、オリジナルのユダヤ人の言葉(イディッシュ語)では、「ドナ」ではなく、ユダヤ人の女性の名前としてよくつかわれる Dana (ダナ)と表記されている。
そう。
「ドナドナ」は、女性までもが強制収容所に連れられていく悲しみ・怒りを表現しているのだ。
歌詞の 3 番では、「牛たちは理由もわからずに、簡単に殺されていく / しかし、だれだって自由を大切にしていきたい。ツバメが飛ぶことをおぼえるように」(英訳詞からの和訳)と歌っている。
比喩ではなくあくまで牛をさしているのだとしたらありえない文章ではないだろうか。
(くわしくは、作詞者の Aaron Zeitlin の名で Web 検索すれば、多くの情報に出会えるだろう。)
そして、ジョーン・バエズの「ドナドナ」だ。
世界的にこの曲が知られるようになったきっかけとして、この曲が60年代のアメリカでヒットしたことがある。
時代はまさにベトナム戦争真っただ中。
「ドナドナ」の子牛は、ベトナムへと派兵される若き兵士たちの暗喩として受けとめられたのだ。
2 つのエピソードをふまえてアルバムに収録された「ドナドナ」を聞いてみると、ギターだけをバックにソプラノのジョーン・バエズの声だけが悲しく、そして怒りにみちて力強く響く。
感覚的な感動ではなく、理性にうったえかける意思をもった歌だ。
やはり、買ってよかった。
実はことしのはじめにも 1 度だけ CD ショップで見かけたのだが、そのときはやや高めの値段だったこともあって、あきらめた。
しかし、今回はこうした反戦の歌を聴かずにはいられない思いがある。
イラクへの自衛隊派兵が着々とすすめられているが、ぼくはぜったいに反対だ!!
ぼくのおじいさんは、先の戦争にかりだされアジアのどこかで戦死している。
直接会って話を聞くこともできなかったが、小さな息子(ぼくの父だが)を残して、戦場にいくのはどんな気持ちだったろう。
おじいさんの心配のとおり、父もたいへんな苦労の人生を送ってきた。
だからこそ、「日本は 2 度と戦争をしません」と誓った憲法 9 条は、おじいさんの冥福を祈る何よりの弔辞であると、ぼくは思ってきた。
さまざまな形で「イラクへの自衛隊派兵反対」の思いを表現して、日本の良心の力を引き出していきたい。
「きょうの前むき一言」の番外編として、ジョーン・バエズの言葉を。
「いつどんなふうに死ぬかを選ぶことはできない。
決めることができるのは、いまをどう生きるかだけ」
(You don’t get to chose how you’re going to die, or when.
You can only decide how you’re going to live now.)
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